虹を・・・新年のご挨拶に代えて

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2012年・・・新しき年が始まりました。

今年こそ幸多き年となりますよう心からお祈り申し上げます。


穏やかな元旦であった。いつもの年のように我が家の玄関先は大神神社への参拝客で賑わい、昨年、あのような厄災があったことがまるで嘘のような年の始まりであった。

無論、今日の一日がそんな日であったからと言って昨年のあらゆる災いごとがチャラになってしまうわけではない。今もなお生活の立て直しにもがき苦しんでいる方々はまだ大勢いらっしゃるだろうし、悲しみ癒えずこの年を迎えた人も数えきれないほどいらっしゃる。けれども、だからこそ・・・新しく迎えたこの年が、今日のこの穏やかの一日のような、そんな一日であってほしいと心から思う。

ところで・・・そんなふうなことを昨年末以来思い続けてきた私であるが、そんな私の胸中を離れない歌があった。新しき年に幸多かれ、希望よ多かれと願う私の胸中に・・・

以前、一度紹介したことのある曲なので少々気が引けるのだが、今、この曲が私の脳裏を離れない。

この映画の舞台になったのはスパリゾートハワイアンズ。東北・関東にお住まいの方にはなじみのある施設名であろう。ただ、この名は1990年の改名によるもので、私にとっては常磐ハワイ(正式には常磐ハワイアンセンター)の呼び名の方がなじみ深い。

小学校の・・・3年生ぐらいのことであっただろうか。3が日も終わり、小学校が始まったばかりの最初の日曜日。昼食(鮭のお茶漬け)をしこたま食べた後のことだ。父がおもむろに、車に乗れという。私は何も思わずに母とともに車に乗った。車は父のお気に入りのブルーバード。

その時・・・おや、と思ったのは、母が大きなバッグを手にしていたこと。いったいどこに行くんだろうとおもながら窓の外を眺めていると、どうやら仙台の方に向かっているらしい。松島を過ぎたあたりで父は言った。

明日は学校を休め・・・

小さな会社を経営して多忙であった父の旅行の切り出しはいつも唐突であった。休みがいつ取れるかわからない。取れると決まったら即決だ。子供の都合などあったものじゃあない。おかげで何度学校を休んだことか・・・自慢じゃあないがめったに風邪をひかない私が学校を休んだのはこんな父の付き合いがほとんどであった。その日も昼食前に明日の休日が決まったらしく、この日の常磐ハワイ行きも私の昼食中に決まったらしい。

常磐ハワイは・・・1966年、福島県はいわき市(かつては磐木平市とよばれていたような?)・・・かつてこの国の代表的な炭田であった常磐炭田の掘削の際にあふれ出る豊かな温泉を利用しての施設であった。国策の転換により石炭産業はこの国において時代遅れの産業となった。幾つもの山がすったもんだの結果として閉山していった。ここ常磐炭田とてその例外ではなかった。人員整理は1955年に始まった。そこで炭鉱労働者やその家族の雇用を創出するため、さらに同社の新たな収入源確保のため、炭鉱以外の新規事業を立ち上げることになった。それが常磐ハワイアンセンターである。

この辺りのいきさつについては私がここで云々するまでもなく映画「フラガール」を見れば明らかなことである。そして、2011年3月11日。この町に再び危機が訪れた。

そして・・・この町は再びその危機を乗り越えようとしている。詳しくは、下のリンクをご覧いただければと思う。

http://ganbappe.j-cqn.co.jp/intro/index.html

http://blog.livedoor.jp/hawaiians/

正月早々、少々・・・いや、かなりとりとめのない文章になってしまった。いつもそうじゃないかと言われれば返答もできないのであるが、今日のこの文は・・・我ながら述べようとしていることが分裂気味だと自覚できる。何せ元日のこととてお屠蘇気分が過ぎているのだとご寛恕していただければありがたい。ただ・・・今日ご紹介した「虹を」という歌に託した私の思いだけお察しいただければさいわいである。

虹を・・・新年のご挨拶に代えて” への9件のフィードバック

  1. 考えてみると常磐ハワイアンセンターって関東と東北を結ぶ梯みたいなところがありますね。
    大学の教養課程が常磐線沿線だったので、一度行こうと思いつつ、行ったことないんですが。
    今年もよろしくお願いします。

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    1. 中川@やたナビさんへ
      青森や岩手辺りはどうだったかは知りませんが、宮城ではこの常磐ハワイは一時憧れの場所だった時期がありましたね。
      なんてたって冬なのに泳げるんだから・・・
      外貨持ち出しの制限があり、海外旅行など夢のまた夢であった時代、それでもハワイは多くの人々の憧れの場所でした。
      そんなハワイに・・・車に乗って4,5時間ほどで行けるんですから・・・答えられない場所ですよ。

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  2. 新しい年の初めというのは節目なのですが
    節目にしたいものと節目にしてはいけないものとありますね。
    心の痛みはリセットしてほしいが
    震災対応に関しては勝手に節目にされては困る。
    まだ何も被災者が満足できる手は打てていないのですから。
    その意味で僕も正月がめでたいと祝う気にはなれません。

    実は一か月くらい前、「フラガール」見ましたよ。
    切ない映画だった。

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    1. 根岸さんへ

      これから先の東北の復旧・復興に要するであろう年月のことを考えると暗然たる思いになってしまうのですが、必ずやその達成を成し遂げなくてはならないもの。こういった年の変わり目をその達成の度合いを確認する機会としてもよいのでしょうが、さてこの年の初めをそのように考えた時・・・これまたその拙速さに暗然たる気持ちをおさえられません。
      ただ・・・出だしだけ勢いが良く、すぐに衰えてしまうのも考え物。こうも対応が遅くなったのなら持続可能な・・・そしてその先に展望の開けるような復興策を練りぬいてほしいものだと思います。

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  3.  炭鉱の閉山というのは地元にとっては大変な出来事です。ほかに産業がなければ、町がひとつそっくり消滅してしまうのですから。

     釧路管内でもかつて雄別炭鉱という大炭鉱が閉山になり、閉山の十数年後その跡地に行ったとき、しばらく呆然として立ちつくしたことを覚えています。

     昨年の大震災は、その炭鉱の閉山をはるかに上回る大損害を各地に与えたわけですから、まさに想像を絶するものがあります。

     復興には何年もかかるでしょうし、福島県に至っては復興どころの話ではなく、原発付近にこのまま人が住み続けていて大丈夫なのかというレベルですよね。

     ですから年が改まったからといって事態が収拾されたわけではなく、根岸さんのご感想はもっともだと思います。

     とはいえ、個人的なレベルではそれぞれ小さな節目を迎えたということはあるでしょう。ぼくなども新年と同時に無職のおじさんになりましたしね。

     なんのお手伝いもできず情けないかぎりですが、せめてあれこれ考えながら地方都市でひっそり生きていくとしますか。

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    1. 薄氷堂さんへ

      時代の流れで仕方ないとはいえかつての石炭中心の産業構造から、石油中心の産業構造への転換はいくつかの町の消失を私たちの眼前に見せてくれました。
      この「フラガール」のいわき市などはその転換をなんとかうまく乗り切った典型なのかと思います。が、一方では町の体裁をなんとか保持はしたものの今苦しみの中にあえぐ夕張のような町もあり・・・その転換の際に政府は何事かなすことはできなかったのか・・・そんなふうに思えてなりません。

      そして今・・・いくつもの町が消失しようとしている(私の住んでいた町は消失することに決定しました)、あるいは再生しようとあがいている・・・

      全ての後始末が住むのは5年や6年といった視点では語りきれないものがあります。一見して作業が進んだことが見て取れる事柄もあれば、ことによれば遅々として進まないことがらもあるでしょう。そこで必要になってくるのは、やはり展望かと思います。

      じぶんたちの住む場所はどうなってほしいのか・・・あるいはどうなって行くのか、具体的なものがそこに見えてこなければ人は・・・今ある苦痛に耐えることは、難しいんじゃないかなと思っています。政府のなすべきことは、そんな展望をはっきりと示し、その実現の裏付けを明示すること・・・だと思っています。拙速な対応よりはそのほうがたいせつなことだ・・・と思っています。

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  4. gatayanさん、明けましておめでとうございます。
    ご挨拶が遅れましたことお詫び申し上げます。
    体調が優れぬ故、近頃やっとご挨拶まわりをさせていただいております。
    今年もどうぞ、よろしくお願いします。

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    1. 只野乙山さんへ

      こちらこそよろしくお願いいたします。
      あんなことがあった次の年ですから・・・
      ・・・いい年であってほしいものですね。

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