ナキサハノモリニミワスヱ

大和三山の一つ、あま香久山かぐやま(香具山とも)は標高152.4m。万葉集の

大和には 群山むらやまあれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は

(巻一・2)

春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山

(巻一・28)

などで知られるが、そんな歌々を読み、大和に訪れた多くの人はこの天の香久山を見て、「えっ・・・これ・・・」と驚かれる方が多い。むろん152.4mという、その平凡な標高による。大和盆地自体がある程度の標高を持っており、香久山の周辺は70~80m程度だから、その標高差はこれまた70~80m程度。おまけにその山容は、そそり立つような峻厳さや、三輪山のような美しい紡錘形とはほど遠い・・・平板な・・・それはそれは平板な姿をしている。

IMGP0096.jpg

けれども・・・万葉人にとってこの山は大切な・・・聖山であった。大和三山の他の二山が単独峰であるに対して、天の香久山は多武峰から続く竜門山地の端山あたる。そしておそらくこの事実が、香久山を聖なる山たらしめた要因となっており、それはそれで興味深い話ではあるが、今日はその北西麓に・・・こんもりと茂る木立についてちょいと述べてみたい。

飛鳥オブ飛鳥ともいうべき真神が原の北方に聳える(?)天の香久山の西麓の道を北上すると、香久山の北端に位置する辺りの西の麓に奈良文化財研究所藤原京資料室はあるが、訪れるべきはその北のこんもりとした木立・・・泣沢なきさわの森。そこに畝尾都多本うねおつたもと神社はある。

道から木立の中へと写真のような・・・ちょいと入るのが躊躇われるような参道が延びる。勇気を振り絞って入ってみると・・・参道の傍らに・・・

img_20140706_075645

泣沢なきさはの 神社もり神酒みわゑ 祷祈いのれども 我が大君おほきみは 高日たかひらしぬ

万葉集巻二・202

と彫り込んである。

万葉集随一の壮大な挽歌として知られる「高市皇子尊たけちのみこのみこと城上きのへ殯宮あらきのみやの時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首」(巻二・199)と題された長歌に「或書の反歌一首」として添えられた短歌である。作者は題詞に柿本朝臣人麻呂とあるが、左中には「右の一首は、類聚歌林に曰く、檜隈女王ひのくまのおほきみ、泣沢神社を怨むる歌なりといふ。」とあり、万葉集編纂当時には作者を檜隈女王とする異伝がすでに発生していたことを物語る。この事実が、この神社の由緒の古さをも物語ってくれているであろうと思う。但し、万葉集に歌われた「泣沢の神社」が、そのままこの神社であるかは私には何とも言えない。

歌意は

泣沢の神社に神酒の瓶を据え参らせて、無事をお祈りしたけれども、そのかいもなく、我が大君は、空高く昇って天上を治めておられる。

程の意であろう。「我が大君は、空高く昇って天上を治めておられる。」とは、むろん高市皇子の薨去のことを意味する。つまり・・・高市皇子の命乞いを、この神社の神に行ったがその甲斐はなかった・・・ということだ。してみれば、甲斐があったかどうかはともかくとして、この神社にいます神は命をつかさどる神である・・・と考えられそうだ。そしてその神が鎮まるお社がこれだ。

img_20140706_075718

祭神は泣沢女神なきさはめのかみ(啼沢女・哭沢女)。本殿はなく、御覧の写真は拝殿である。なんでも、その背後の瑞垣の中に「泣沢の井戸」という井戸があり、その井戸がご神体であるのだという。

泣沢女神は伊邪那岐命いざなきのかみの子。その妻伊邪那美命いざなみのみことが火の神迦具土かぐつちを生んだ際に御陰に火傷を負って亡くなったときに伊邪那岐命の泣いた涙から生まれた神だという。

御枕方みまくらべ匍匐はらば御足方みあとべに匍匐ひて、きたまふ時に、御涙に成りませる神は、香山かぐやま畝尾うねをの木のもとにます、名は泣沢女の神

と古事記にはある。

泣沢とは涙があふれ出るように水量の豊かな沢(あるいは泣くように響き渡る沢)の意で、そのご神体が井戸であることから水の神とも考えられるが、上にも述べたように命を司る神と考えなければ、202番の歌は理解しにくい。

おそらくは、そこに「泣き女」の存在を考えることができよう。死者を前にして声をあげ涙を流し、その死を悼む儀式がかつてはこの国にも存在した。そしてそれは単に死を悼むだけではなく、死者の魂を揺さぶり、こちらの世界へと引き戻そうとする儀式でもあった。

img_20140706_075853

どうやら・・・高市皇子薨去の際には、柿本人麻呂(あるいは檜隈女王)の願いむなしく、泣沢女神はお泣きにならなかったようである。

ナキサハノモリニミワスヱ” への2件のフィードバック

  1. 長らく忘れていた古代史ロマンに浸れます。
    この4年間、関西には一度も行っていない(・・はずです)。
    甘樫丘から大和三山を眺めたのは遠い昔、あの頃の眺望は今も失われていないと思っていますが・・?

    百人一首の持統天皇、幼い頃の祖父母に習ったカルタ取りを想い出しました。
    遠い祖父母の記憶、この記事を読んでいると、甦ってきました。
    私の脳内に、「癒しホルモン・オキシトシン」と「感動ホルモン・セントロニンが」溢れています。
    大好きな、じいちゃんとばあちゃんでしたから・・・。

    いいね

    1. >Graymanさんへ

      これからの明日香は一年で一番いい季節です(私の好みでは11月にはいてからですがちょいと寒い)。
      歩いてよし、眺めてよし・・・お暇を見つけて是非・・・

      >甘樫丘から大和三山を眺めたのは遠い昔、あの頃の眺望は・・・

      あんまり変わってませんよ・・・いくつかは新たな建物ができましたが、さほど景観を損なうことはないように工夫しているでしょうからね。

      いいね

コメントを残す