とある日の昼下がり、私は奈良県北葛城郡広陵町大字百済の地にある小さな御社の鳥居の前にいた。そのささやかな御社にふさわしい実に控えめな鳥居である。
鳥居にかかげられた額には春日若宮神社とある。
全く人気が無く、静まり返った境内にはご覧のような歌碑がひっそりと建っている。
百濟野乃 芽古枝尓 待春跡 居之鴬 鳴尓鶏鵡鴨
百済野の 萩の古枝に 春待つと、居りし鴬 鳴きにけむかも
山部赤人 万葉集巻八/1431
ご存知、万葉歌人山部赤人の名歌である。上にこの場所の住所を明らかにしておいたので察しはつくかと思うが、ここ広陵町百済は、この歌に詠まれた百済野と推定されている地である。
ただ、百済野の所在地については諸説が存在し、古くはこの広陵町百済とする説が有力だったが、ここはあまりに明日香や藤原の地から遠い。さらには、この地が古くから百済と言う地名であったのか、確証を見ない。さすれば、橿原市は藤原京のほど近い、高殿町に東百済・西百済との字が存在するゆえ、そちらの方がこの歌に詠まれた百済野ではないかと氏は考えた。他にも、この高殿町に近い位置にあった百済大寺周辺とする説など幾つかの説を目にすることが出来る。私にはどれとも特定できないが、この歌はその配列から見ると平城の地に都が移って後のものと推定され、山部赤人が、何かのおりに立ち寄った先で見かけた光景を思い出しての作と見られる。とすれば、当時、歌に詠まれることがほとんどなかったこの盆地中央に存する広陵町百済よりも、訪れる可能性が高さから考え、旧都藤原の地とするほうが、その蓋然性は高いように思う。
まあ、嘘か本当かわからぬ私の云うことであるから、どこまでそれを信じていいのかは読者諸氏にお任せするが、もしこの歌が詠まれたのが藤原の地であったとすれば、今ここに存する歌碑が何やら空しいものに思えてくる。
けれども、長らくこの地を赤人の歌に詠まれた百済野であると信じてきた人々の思いは尊重されなければならないとは思う。
これが、この春日若宮神社の本殿である。
ところで、私は今回のこの文章を「百済寺に行く」題して書きはじめた。なのに書いているのは春日若宮神社のことばかり・・・ちょいと怪訝さを感じておられる方もいらっしゃるかと思う。
・・・そろそろ、種明かしの時が来ている。
もう一度鳥居の前に立ち、その背後に聳えたつものに目を移してみよう。
神社とは・・・何やらそぐわない建造物が視野に入ってくる・・・
> 長らくこの地を赤人の歌に詠まれた百済野であると信じてきた人々の思いは尊重されなければならない
これはまさにその通りだと思います。
何時からそう考えられて来たかにもよりますが、人々が「信じてきた」ことには、それなりの意味があるのだと思います。
もちろん、いろは歌は人麿が作った、なんていう類いのは信じてもダメですが…。
なお、広陵町(古の大和国広瀬郡散吉)は、竹取物語の舞台だとも言われていますね。
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ホシナさんへ
>人々が「信じてきた」ことには、それなりの意味があるのだと思います。
次の記事で、もう一度このことについては触れる予定で、そこにはさらに百済野=広陵町百済ではないとする内容を書こうとしているのですが、そのこととこの地が長く百済野と意識されてきたことの歴史を否定するつもりは毛頭ないわけで・・・私には信じられてきたその事実自体が尊重されるべき事柄なのだと思います。
>広陵町(古の大和国広瀬郡散吉)は、竹取物語の舞台だとも言われていますね。
そうなんですよ。散吉神社なんてのもありますしね。「散吉」という地名も「三吉(サヌキ)」と言う字面でまだ残っています。例の「さぬきのみやつこ・・・」ってやつですね。(高校の教科書なんかでは「さかきのみやつこ」なんて本ん問のものが多いように思いますが)そしてその神社の北側には・・・竹取公園なんてのも・・・・・
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元々の趣旨から外れて甚だ恐縮ですが…。
竹取翁の名前は、最古の完本たる武藤本に拠って「さかき」とする注釈が多いのですが、諸本には「さぬき」「さるき」の異文があります。これは「讃岐」「散吉」等の漢字表記が、n音を「る」と表記する例(「駿河」「敦賀」等 )からの類推で 「さるき」とかな表記され、更に「る」が「か」に誤写されたという経緯が想定される…というのは、讃岐造麿を散吉の地と結び付けた亡師の説の表層だけの受け売りなんですが…。
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ホシナさんへ
あ、、それですっきりしました。
いろんな状況を考えて、ここはどうも「さぬき」じゃなきゃいけないなと思っていたんですが、
どうしてそれが「さかき」になっちゃうのか説明がつかないんでいたんです。
「る」から「か」だったら誤写があり得ますよね。
な行・ら行は駿河・敦賀の例を出さないまでも、鼻づまりの時にはだいぶややこしくなってしまいますもんね。
そうそう、その際はだ行もややこしくなる・・・
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