さあて長々と続いた万葉学会主催の1日旅行についての報告はやっとこさ今日おしまいにすることができそうだ・・・
ということで
前回報告した東院庭園を後にした私たちは、そのまままっすぐ北へと進む。すると、ものの五分もたたないうちに・・・鉄柱によって支えられた6角形の覆いが見えてくる。大きさはそうだな・・・1辺が10m弱というところ。そして、その覆いに覆われた中央にあるのがこれだ。
ご覧の通りの井戸の跡である。周辺から発見された木簡からここに造酒司があったことがほぼ確定されている。造酒司とは養老令(職員令卌七 造酒司條)に
正一人 掌釀二酒醴酢一ヲ事 佑一人 令史一人 酒部六十人 掌供行觴 使部十二人 直丁一人 酒戶
正(長官)一人 【その職掌は酒・醴(甘酒)・酢を醸造すること】 佑(3等官)一人 令史(4等官)一人 酒部六十人 【職掌は飲酒の際に酒を供給すること】 使部十二人 直丁一人 酒戶
・酒部・・・大化前代、酒の醸造に従事した部民。 令制で、造酒司に属した伴部。公用の酒の醸造を職掌とした者
使部・・・令制で、太政官の八省以下の役所で、下級役人(六位~八位)の嫡子で、二一歳以上のもののうち現在特に役職に就いていないものを、その能力によって上・中・下と分けられたうちの「下」と判断されたもので、雑役等に服していた。
直丁・・・令制で、諸国の正丁の中から徴集され、中央諸官司で雑役に使役された仕丁のうち、実際に駆使された者
酒戸・・・「戸」は令制において官司に配属されて宮中で用いる物資の生産・技術伝習にあたった人々
訳文は私のつたない訳文だから、あんまり信用しない方がおすすめ。語釈は精選版の日本国語大辞典などによった。
とあり、「令制で、宮内省に属し、酒や酢などを醸造し、節会などの献酬などをつかさどる役所。」(日本国語大辞典)であったことが分かる、この平城宮跡からは「甕を並べて据え付けた跡のある建物、「造酒」と墨書された土器、大型の甕、酒造りのために水をくみ上げた井戸などが見つか」り「南北約125メートル、東西推定110メートルの規模で、醸造する場所と事務所があった」(2015/10/2 朝日新聞朝刊奈良)ことがわかっているそうだ。
まあ、私のくだくだしい説明を読むよりも、造酒司井戸跡の横に立っていた案内板の説明を読んだ方が皆さんには有用な気がするので下に示す。
造酒司の井戸
平城宮にはここで使う潜や酢を製造した、造酒司という役所があった。ここからは、 醸造用の水を汲んだ井戸がいくつか見つかっている。この井戸はそのうちの一つで、杉の大木をくり抜いた直径140cmの井筒を中心にして、円形に川原石を敷き、 周囲に石を組んだ溝をめぐらせ、六角形の屋根をかけていた。このような立派な構造をもつことから、儀式用の酒の醸造に用いたた特殊な井戸と考えられる。遺構は盛土して保護し、その上に型散りした井戸の遺構模型を展示している。
ということで、いよいよ最後の目的地である遺構展示館へと向かう。歩くこと5分。私たちは最終目的地へと着いた。5月だというのに30度を超す猛暑の中歩き続けた私たちには、この施設のほどよい冷房がまことに心地よく感じられた。
ここでは説明らしい説明はなく、いわゆる自由見学。そのあらましは以下のパンフレットによられたい。
http://heijo-kyo.com/wp-content/uploads/2017/05/ruinspf.pdf
遺構展示館の見学の後は奈良県文化財研究所の駐車場まで移動し、学館代表からのご挨拶の後、いよいよ解散。
それにしても・・・本当に暑い日であった。こんな日の夕刻に酌み交わすビールがうまいことは必定・・・となれば、この後の行動は、ご想像通りである。
9回に亙る詳細なご報告、ありがとうございました。
5月にしてはとても暑い日だったようですが、季節感が今現在と合ってきました。(^_^)
ビール、おいしかったことでしょう。
ゴールが造酒司だったこととも呼応しますね。(^_^)
いいねいいね
源さんへ
いつもながらのことですが、なかなか終わらない・・・そのことの弊害が大きくて・・・なんてたって、これだけ一日のことを引きずってくると、少々のメモでは、それぞれの先生のお話してくださったことを・・・・忘れちゃうんですよね。
一応のメモはあるんですが、銅にも細部が思い出せなくって・・・となると中途半端に誰がああいっていただとかってところは、かなり自信があるところのMになってしまいます。
いいねいいね