山辺の道1日旅行・・・5

飛火野を後にして、春日大社参道を東へと進む。もちろん目指すは春日大社である。

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数えきれぬ石燈籠を横目に見ながら進むと春日大社が見えてくる。

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二の鳥居が見えてくる。手前に見えるのは第六十次式年造替を告げる立札である。

さて今回の1日旅行においては先が長いゆえ、ここで春日大社に入ってしまうことは許されない。加えて、この度に参加するような方々は、もう春日大社などにはもう何度も足を運んだような方々ばかりである。

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したがって、改修の住んだ豪奢な南門を左に見つつ、もうちょっと先にある若宮まで足を延ばす。

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祭神は春日大社の祭神の一柱、天児屋根あめのこやね命の子天押雲根あめのおしくもね命。長保5年(1003)春日大社第三殿に勧請したのに始まる。ちなみに春日大社第三殿は父神天児屋根命が祀られていた御社である。ついで保延元年(1136)に社殿を造営、現在の位置に遷座したと伝えられる。本殿は春日大社と同じ春日造・檜皮葺で、現在の本殿は文久3年(1863)に再建されたものである。毎年12月17日の若宮おん祭は大和の国に年の終わりを告げる祭として今もなお盛大に行われている。この若宮は春日大社からは本の100mほど南に位置しているが、南面する春日大社とは違い、御蓋みかさ山を背にして立っているぶん、春日大社よりも御蓋山を拝んでいるとの感が強い。

ところで・・・御蓋山と言えば、ふと脳裏をかすめてしまうのは、あの阿部仲麻呂の一首。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠(御蓋)の山に 出でし月かも

安倍仲麿・古今集・406

この一首について私は以前2度ほど書いている。まずは・・・これ

ここで私は「奈良時代、遣唐使に派遣される人々は出立の前にこの若宮で旅の無事を祈った」などと知ったかぶりをし、遣唐使として717年に唐に渡り、彼の地に空しくなった仲麻呂が、郷里である大和を思ったときになぜ御蓋の山を詠んだのかについて書いた。後半部分にはさして改めるべき過誤はなかったかと思うが、「奈良時代、遣唐使に派遣される人々は出立の前にこの若宮で旅の無事を祈った」は、上記の若宮の来歴を見れば誤りであることは明らかである。当の春日大社でさえも神護景雲2年(768)であるのだから、仲麻呂が唐に旅立った頃には、若宮はおろか春日大社もなかったのだ。

ということは、この記事で「さらには、若宮の祭神が正しい知恵をお授けくださる神とするならば、これから唐土の地にて新しい知識を吸収して来ようとの意慾に溢れた若者たちにはもってこいの神であったのかもしれない」と書いたのも誤りということになる。その誤りを訂正すべく書いたのがこれ。ところがここでも私は自らの知見の浅さゆえに誤りを犯してしまった事、ここで報告しなければならない。

一つ目は「奈良時代、遣唐使に派遣される人々は出立の前にこの若宮で旅の無事を祈ったという。」の部分。この事実を示す記録は

二月壬申朔。遣唐使祠神祇於蓋山之南。

遣唐使 蓋山の南において神祇を祠る。

続日本紀養老元年(717)

という一文である。「蓋山」は御笠山のこと。養老元年と言えば

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 御笠の山に いでし月かも

との一首を詠んだ阿倍仲麻呂が唐土に渡った第9次遣唐使が派遣された年である。仲麻呂も「蓋山之南において神祇を祠」った一人であることは想像に難くない。が、遣唐使が派遣される際にここに詣でたという記録はこれのみであり、それ以外の遣唐使たちが「蓋山之南において神祇を祠」った証拠はどこにもない。

と書いたことである。それは私があまりにも御蓋山のみに執着しすぎたことによる。ことを御蓋山のみにしぼらず春日山系全体に目を向ければ

 春日祭神之日藤原太后御作歌一首 即賜入唐大使藤原朝臣清河 参議従四位下遣唐使

大船に 真楫しじ貫き この我子を 唐国へ遣る 斎へ神たち

 大使藤原朝臣清河歌一首

春日野に 斎く三諸の 梅の花 栄えてあり待て帰りくるまで

万葉集巻十九・4240/4241

なんてのがあるし、続日本紀宝亀8年2月6日には

遣唐使拜天神地祇於春日山下。

遣唐使、天神地祇を春日の山の下に拝す。

なんて記事もある。

これらは矢野健一というお方の「遣唐使の派遣と春日山祭祀」(この論文名で検索を書ければすぐにダウンロードできますよ)という御論考からお教えいただいた例。続日本紀の宝亀8年の記事は探そうと思えば探せたはずだし、万葉集巻十九に至っては知らなかったでは済まされなかった例(無論知っていましたよ。)。いずれも「御蓋山」なる語という狭い範囲にしか目を向けていなかった私のせっかちさのなせる技であった。

まあ、我ながら自分の思慮の浅さには呆れる限りである。こんな私の文章に、いつもいつもお付き合いくださっている皆さんのご寛容さには本当にいくら感謝してもし足りないものがある。まさに・・・合掌である。あとしばらく・・・お付き合い願いたい。

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