春日大社へ行く・・・4

春日の御神に2礼2拍手1礼のお決まりの祈りをささげた後、私はこの春日の御神の若宮のもとへと向かう。若宮は、ほんの1,2分、ここまで歩いてきた参道をさらに春日の森の奥へと入ったところにある。

IMGP0288

件の石燈籠がまだまだ奥へと続く。そしてその先に見えてくるのは・・・

IMGP0292

春日大社若宮である。

さらに近づいて・・・

IMGP0300

赤く鮮やかな瑞垣の向こうに、おなじく鮮やかな朱塗りの本殿が見える。祭神は天押雲根命(アマノオシクモネ)。春日大社本宮に祀られている天児屋根命の子供であるそうだ。なんでも正しい知恵をお授けくださる神様だという。これはしっかりのお祈りせねばならぬ。

そういえば、以前この若宮の本殿の作りが春日本宮に祀られる四神の本殿の姿は同じであると聞いたことがある。さすれば、我ら凡人には見ることあたわぬ春日本宮の本殿の姿を、ここに髣髴するべきであろう。

本殿を背にして振り返ると

IMGP0298

IMGP0299

一つ屋根の下に見事なまでに清浄な二間。拝殿なのだろうか、若宮に向かって開けた上の間がある。本殿から向かって左が板の間、右が畳の間。置いてあるものを見るとここで楽でも奏されるのだろうか・・・

奈良時代、遣唐使に派遣される人々は出立の前にこの若宮で旅の無事を祈ったという。さらには、若宮の祭神が正しい知恵をお授けくださる神とするならば、これから唐土の地にて新しい知識を吸収して来ようとの意慾に溢れた若者たちにはもってこいの神であったのかもしれない。717年、遣唐使船に同行した若者、阿倍仲麻呂もその一人であった。

才に恵まれ唐土にて身を立てた仲麻呂はそれでも大和の地を恋うていた。けれども結局、故郷日本に帰る事のあたわなかった秀才は、753年のある日・・・いよいよ日本に帰る・・・そんな旅の出立の日の日を迎えていた。彼は歌う。

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

余りにも有名な一首である。「春日なる三笠の山」とはこの若宮本殿の背後にある御笠山のことだ。仲麻呂は留学生として唐土に出立する前、この拝殿において黒々とした御笠山の姿を見ていた。そして・・・その山上には見事なまでに輝く満月が・・・

「出でし月かも」の「し」は過去の助動詞の「き」。いわゆる直接体験の過去である。となれば、仲麻呂は御笠山上空の満月を確かに見ていたのだ。そしてはるか離れた唐土において、かの日見たその月を思い出す。36年後のその日にである。

けれども、その帰郷の夢がかなうことはなかった。752年に来唐した藤原清河の率いるところの第12次遣唐使一行の帰途に紛れて彼は帰郷を図る。けれども仲麻呂の乗った船は暴風雨に遭い南方へと流され日本に帰る事は出来なかった。2年後失意のうちに仲麻呂は長安に帰る事になる。

以降、唐の皇帝より帰国を許可されることなく770年、73年の人生を唐土の地にて彼は終えることとなった。

最後に蛇足を一つ。上の文で私は仲麻呂の歌中の「月」を満月と断じた。故なきことではない。

まず、この歌は唐土を出立するに際し、海辺の町で催された宴にて詠まれたと考えて大過はない。とするならば、彼はどの方向に上る月を見てこの歌を歌ったのか。どう考えても故郷日本のある東の海上である。東の空にある月とすれば満月以外はないではないか・・・・彼は、海辺にて煌々と東の空に輝く月を見てあの日の月を思い出したのだ。36年前、御笠山の上に輝いていた月を・・・

上の写真の拝殿から、若宮を拝むとき、若宮そしてその背後の御笠山は東にある。その上に輝く月が満月であることは言うまでもない。(打ち消しの理由は「田原の里へ・・・春日大社」参照)

春日大社へ行く・・・4” への10件のフィードバック

  1. >ほんの1,2分、 ここまで歩いてきた参道をさらに春日の森の奥へと入ったところ

     ほんの一二分なのに、ずいぶん俗界から離れたような感じがしますね。こちらのほうがぼくの好みかな。

    > 「出でし月かも」の「し」は過去の助動詞の「き」。いわゆる直接体験の過去である。となれば、仲麻呂は御笠山上空の満月を確かに見ていたのだ。

     う~む、これは大事なところですね。知っていると知らないのとでは、天地雲泥の差があります。だから古典文法をさぼっちゃいけない(笑)。反省しとります。

    いいね

    1. 薄氷堂さんへ

      >ほんの一二分なのに、ずいぶん俗界から離れたような感じがしますね

      本当に静かな落ち着いた雰囲気で、私もこっちのほうが好きですね。この参道の延長の小道はそのまま森の中へとのび、「ささやきの小径」なんて、少々気恥ずかしい名前がついています。50を過ぎた女房子持ちの私にはもう縁はありませんが、かつて若者たちのデートスポットでもあった場所です。
      私なんかはその森を抜けた先にある高畑の町並みのなかにある旧志賀直哉邸や、ちょいと名の通ったそば屋があるのを楽しみに歩いているのですが・・・・

      そうそう、それにいつぞや紹介した入江泰吉記念奈良市写真美術館もこの森を抜けた先にあります。

      いいね

  2. こんにちは!
    春日大社若宮に行くまでの小道、たしかにいい雰囲気ですね。
    二月堂などに行くまでの道も好きですが、こちらもいい。
    というか、奈良公園周辺にはそういう道がたくさんあり過ぎて、
    本当に、だれかとのんびり歩くのにはちょうどいい感じなんです。

    阿倍仲麻呂の歌、百人一首のかるた遊びで知りました。
    意味はわからなくとも、なぜだか好きになりました。
    中学に入って、これは仲麻呂が中国から日本を偲んだ歌だ、と教えられ、
    初めてそうだったのか、と知ったのです。
    遣唐使や遣隋使で彼の地に渡って、帰ってこられないというのは
    何とも名状しがたい運命を感じますが、よく歌が残っていたと感心しました。
    やはりあちらで保管されていたのでしょうかね?

    いいね

    1. 只野乙山さんへ

      この道、これからの季節はいいですよ。
      遠くから、近くから雄鹿の雌を呼ぶ声が聞こえたりして・・・

      森を抜けた先で志賀直哉の旧宅を見学した後は蕎麦処吟松で蕎麦を手繰って・・・新薬師寺と百毫寺をお参りしたら・・・大和の秋を充分に楽しめますよ。

      いいね

  3. > 御笠山上空の満月を…

    古今集の左注に、「夜になりて、月のいとおもしろく出でたりけるを見てよめる」とあります。
    月の出が午後6時頃、山上に見える時間なら午後8時(初更)頃…となれば、まさしく満月です。
    仮に三日月なら、東の空に見えるのは朝になってしまいますね。

    いいね

    1. ホシナさんへ

      遠景として御笠山を見るならば、月明かりのなかでそれを見た時、背後の春日山の輪郭に隠されて御笠山の姿は見えづらいと思うんです。
      あえてここでは、御笠の山と言っているわけですから、その輪郭がはっきりと掴めるようでなければならない。
      春日大社の位置からならば、御笠山が近いので逆に春日山が見えない・・・ということで月明かりの中の御笠山の印象が、仲麻呂には強かったのでしょうか。

      いいね

  4. 阿倍仲麻呂というのも、できる男の悲劇ですね。
    皇帝に見込まれちゃったわけですから。
    彼が帰っていたら、その後の日本の歴史も変わっていたかもしれません。

    いいね

    1. 根岸さんへ

      もし彼が日本に帰ってきていたら・・・たとえば彼が50前後の脂の乗り切った頃帰ってきたとすれば・・・その頃日本では藤原仲麻呂が・・・

      ダブル仲麻呂ってことになってしまって、ややこしいことになってしまいますなあ・・・

      いいね

コメントを残す